沖縄慰霊の日 ~私も大叔父を悼む~

 明後日6月23日は、沖縄慰霊の日です。

 牛島満中将らの自決(22日という説もあり)で、組織的戦闘は終わったとされている日です。実際には、その後も戦闘は続いていたようですが。

 沖縄の人にとっては、戦争の犠牲となった家族(先祖)を悼む日であるとともに平和の尊さを再確認する日でもあると思います。

 

 実は、沖縄戦で命を失っている人は沖縄県民の次に北海道民が多いのです。

 私の祖母も、大切な弟を沖縄戦で失っています。

 祖母を含む姉妹たちは、戦後何度も沖縄に行く機会があったにも関わらず、決して足を踏み入れることはありませんでした。戦後の平和な時代を過ごして年を重ねていくなかで、町内会や老人クラブで沖縄旅行に誘われることがありましたが、旅行していても、ここで弟がなくなって今もどこかに骨があると思うと楽しむことはできないからと断っていました。戦死の知らせとともに届いたのは、石ころひとつだったと聞いています。

 子供の頃に、明治生まれの祖母や祖母の妹たちからそんな話を聞いても、私にとってはまるで歴史の教科書のような話で実感はわきませんでした。祖母にも若い頃があって、弟たちと仲良く生活していたのだいうことが想像

つきませんでした。戦争で家族を亡くしても、戦時中の人は強いから悲しみも今の人ほどじゃないだろうという謎の解釈で感情移入ができませんでした。

 そんな私の気持ちを一変させたのが、26歳の時に一人で訪れた沖縄での経験です。

 たまたまゴールデンウィークに16連休という長期休暇を得ることができた私は、良い機会だと思って沖縄を旅しました。たまたま乗ったタクシーの運転手さんに、ホテルに荷物を置いたあとは予定はないと言ったところ、そのまま貸し切りで南部の観光をしてくれることになりました。恥ずかしながら、その前の沖縄旅行では県中部で海を満喫しただけなので戦跡を巡ったことはないと告げたところ、南部を案内してくれることになったのです。

 25歳にもなって、なんとなく航空自衛隊に入隊し、翌年の長期休暇でなんとなく沖縄を訪れたので、なんとなく戦跡ぐらいは見るべきじゃないのかなぁという気持ちになっただけでした。ふと、祖母の話を思い出して、「そういえば、私のおばあちゃんの弟も沖縄で戦死してるはず」と伝えたところ、運転手さんが、「じゃあ、糸満に名前が書かれてあるはずよ」というので、それじゃあと一応実家に電話をかけて名前を確認しました。私にとっては、そのぐらい他人事で興味が無かったのです。

 糸満市にある「平和の礎」に到着し、運転手さんもついてきてくれて名前を見つけることができました。



に来るれたのだからを一人旅した際に初めて実感がわきました。恥ずかしながら、私は

アクティブ スタディ

北海道千歳市にある高校受験のエキスパート ~アクティブ・スタディ~

0コメント

  • 1000 / 1000